マジェスタはカイトを落ち着かせようとする気遣いを柔和な表情に滲ませてみせた。
「貴殿の困惑は至極当然でございます。ですが、失礼を承知の上で早急に確認させていただきたい点が一点だけございます」
カイトは眉根を寄せて露骨に警戒を表わしながらも、
「確認したい点とは、なんでしょうか?」
とマジェスタに対して「話は聞く」というスタンスで応じた。
「私どもに、付いてきていただけますか?」
「……どこへ行くんですか?」不審を隠さずに聞き返したカイトに対し、柔和な表情を崩さないマジェスタが端的に即答した。
「病院でございます」
マジェスタの口から出た「病院」という意外な単語にカイトは片眉を上げてみせた。
「……病院、ですか? 俺の身体検査……いや、検疫の必要でも?」
この状況で検疫に考えが及ぶカイトの思慮に満足したマジェスタは、微笑を浮かべてから首を横に振った。
「いえ、検疫の必要はございません。貴殿に治癒魔法の行使を試していただきたいのです」
治癒魔法というファンタジーな言葉に触れたカイトは素直な反応をみせた。
「治癒魔法? 待ってください。魔法なんて使えませんよ、俺は」
「召喚は成功しております。こうして会話が成り立っているのが証左でございます。ならば治癒魔法も使えるはずなのです」すかさず答えたマジェスタの断定する口調に対し、カイトは困惑を隠せなかった。
(召喚があるファンタジーな異世界だ。そりゃあ治癒魔法だって存在しても……いや、治癒とか蘇生なんかに関する魔法はその世界の設定に直結するってのが異世界ファンタジーのお約束だ。ここは慎重に確認しとくべきだな……ラノベを好きだったのが意外と役に立つかもしれない……待て、俺はこんな状況でここまで冷静に考察できるほど順応性が高かったか? これも俺の身に起きた変化のうちってことか……?)
考えを巡らせていたカイトは、何気なく視線を動かしたタイミングで気付いた。
カイトは濃紺の軍服を着た青年四人に取り囲まれていた。 青年四人は燭台が乗った祭壇と同様に、等間隔で四方からカイトに向かって右腕を伸ばし手のひらをかざしていた。 四人は一様に緊張を露にしており、その表情は敵対というより懇願に近かった。 状況をすんなり理解したカイトは、ふうと短く嘆息してみせてから、「どうやら……俺に、拒否権はないようですね」
と諦観した口調でマジェスタに答えた。
「恐れ入ります。流石は召喚に応じられた御方でございます。理解に即した判断の早さに感服いたします。では、ご案内いたします」
マジェスタはうやうやしく左手でドアを指し示し、カイトに部屋を出ることを促した。
「……わかりました」
カイトは小さく首肯して短く答えた。
またしても音も無くカイトが気付かないうちにドアの前へと移動していた青年が開けたドアから、諦観を顔に浮かべたカイトはゆっくりとした歩調を意識しながら部屋を出た。 薄暗かった部屋から一変して明るい廊下だった。 白で統一された壁と天井の廊下には、そこかしこに装飾が施されており「まさに王宮」といった印象をカイトは持った。 病院というからには城は出るんだろうな……と予想していたカイトは驚いた。 王宮の中庭と思われる異様に広い庭園の中央に、小さくはない白亜の建物が建っており、それが病院だと聞かされたからだった。(王宮の中……しかも中央と思われる位置に病院? 変わった配置だな……)
カイトは驚きを顔に出さないように努めつつ、マジェスタの案内に無言で従った。
マジェスタに先導されて病院に入ったカイトは、病室だという小学校の教室ほどの広さの部屋に通された。 鼻を突く消毒薬の刺激臭に微かに混じる、血を思わせる鉄っぽい臭いを嗅ぎ取ったカイトの背筋が緊張でわずかに強張った。病室には四人の傷病者がおり、各々簡素なベッドで横になっていた。 若い女性の看護師と初老の医師らしき男性の姿もあった。 マジェスタは一人の傷病者の前で立ち止まると、カイトに視線を向けてから口を開いた。「この者を治療していただきたく存じます」 身体を起こそうとする中年の男性傷病者を、マジェスタは無言で右手をかざすだけで制した。 疑問を口にし始めるとキリが無いと判断したカイトは、「どうやればいいんですか?」 と端的に方法だけを訊いた。 カイトの返答に満足したことを示すように、微かに頷いてからマジェスタは説明を始めた。「まず、患部に手をかざし、体内を巡る魔力に意識を集中していただきます。魔力を意識できましたら、次に傷を治すと念じてくださいませ。さすれば、かざした右手から脳に傷のイメージが伝わってくるはずでございます」 マジェスタの説明を把握したわけではないが、一応の理解だけはできたカイトは、「体内を巡る魔力、ですか……とりあえず、やってみましょう」 と応じて素直に試してみることにした。 カイトはマジェスタの説明通りに、傷病者の肩に巻かれた包帯の上に右手をかざした。 目を閉じたカイトは、かざした右手に意識を集中してみる。 今まで感じたことのない、体内を巡っている微弱な電流のようなものを意識で捉えたカイトは、これがマジェスタの言った魔力なんだろうと判断し、すかさず「傷を治す」と念じてみた。 カイトの右手から金色の粒子が発生し始め、ゆらゆらと空気中を漂い始める。 病室にいる濃紺の軍服を着た青年や若い女性の看護師が、カイトの右手から発生する金色の粒子を凝視して息を呑む。 目を閉じて集中し続けるカイトの脳裏に、包帯で覆われた肩の裂傷のイメージが鮮明に浮かんだ。(なんだ……? 画像がダイレクトに脳に伝わってくる……透視してるみたいだ……) 初めての感覚に戸惑いながらもカイトは、「傷のイメージが、浮かびました」 とありのままの状況を口にした。 脳内に浮かんだイメージが消えてしまわないようにと、目を閉じたまま意識の集中を続けるカイトに向けてマジェスタが説明を加える。「それでは次に、傷が治るイメージを浮かべながら「クラティオ」と詠唱してくださいませ。さすれば、治癒魔法が発動するはずでございます」 マジェスタの言葉に従って、カイトは裂傷が治
カイトは一度ゆっくりと深呼吸をしてから、マジェスタに対しての質問を切り出した。「女王陛下との謁見については、なんとなく流れとして理解できないこともないんですが、俺が「閣下」というのは何か理由があってのものですか?」 カイトの問いに対し、マジェスタは柔和な表情を浮かべつつ首肯した。「召喚に応じられたアナン家の御子息であられる閣下には、公爵位が叙爵されます。召喚に前以て用意を済ませておりますサイオン領とともに、サイオン公爵位を閣下には受けていただきます」「こうしゃく、ですか……?」(公爵か侯爵なのか……いや、今はそんな違いどうでもいい……とりあえず、異世界に来てすぐ生死に関わるような状況で始まるハードな展開じゃないのは確かみたいだ……) まずは現状を把握しないと動きようがないと判断したカイトは、マジェスタの言葉を聞き漏らさないように耳を傾けた。「公爵位を受けていただくのと同時に、治癒魔法を用いる魔道士であられる閣下には、ミズガルズ王国の筆頭魔道士団であるトワゾンドール魔道士団へ入団していただきます」「トワゾンドール……? 金羊毛ですか……?」 トワゾンドールという言葉に反応したカイトが、ぼそりと和訳を添えて答えると、マジェスタは満足そうに微笑んだ。「左様でございます。流石はアナン家の御子息、博識であられますな」 カイトは現状を把握するためにマジェスタの説明を脳内で整理するのに忙しかった。(爵位に魔道士、いよいよラノベの異世界ものって感じだな……っていうか、トワゾンドールが地球と同じで金羊毛ってことは、だ。この異世界は、神話なんかについては地球と共通してるってことなのか? そうなると宗教なんかも……?)「あの……俺は魔道士、なんですか?」 一つずつ疑問を解消していこうと決めたカイトの質問に対し、マジェスタはすぐさま返答した。「この世界テルスにおいて治癒魔法を行使できる魔道士は、テルスの神たるドラゴンより下賜された召喚術式によってこの世界に来られた方のみでございます。閣下の祖父君であられるレクサス公爵ケンゾー王配殿下と、御尊父であられるビスタ公ダイキ閣下。そして、サイオン公カイト閣下の御三方のみが治癒魔法を行使する魔道士であられます」 マジェスタの説明を理解したことで、カイトが抱えている疑問は余計に深まった。(治癒魔法が実在する世界なの
「……おじいさん?」 ぽつりとつぶやくように漏れたイツキの声に、ニカッと笑ってみせるたケンゾーは、「ああ、そうだよ。俺がきみの二親等、祖父ってわけだ。まあ、病室で立ち話もなんだ。場所を変えようか」 と異世界での初対面という特異な事態を感じさせない口調で答えた。 ケンゾーのフランクな応対に戸惑いながらもカイトはうなずいた。「……は、はい。そうですね」 カイトの返事に対して微笑で応じたケンゾーは、「こっちだ。すぐそこに俺の書斎がある」 と声をかけて廊下をスタスタと歩き始めた。 カイトとマジェスタは病室を出てケンゾーの後に続いた。 ケンゾーの足取りは軽快さすら感じるほど確かなものだった。カイトはその背中を見ながら記憶をたどった。(四十四年前に東京タワーで失踪したとき、確かおじいさんは三十一歳だったはず……ってことは、七十五歳!? めちゃくちゃ若くないか……?) 明るい廊下を二十メートルほど進んだ三人は、ケンゾーが王宮病院内に設けている書斎に入った。 書斎の壁は本棚で覆われており、本棚のキャパシティのギリギリを攻めるように書物がぎっしりと並んでいた。 ずらりと並ぶ彩り鮮やかな背表紙に目をやったカイトは、製本の技術から見て自分が思い描く異世界のイメージである中世よりも、かなり進んだ時代なのかもしれないと思った。 中庭に面した窓からは、昼を迎える前の清しい午前の日差しが射し込んでいる。 書斎の中央には簡素な椅子が四脚置いてあり、その内の一脚に腰掛けたケンゾーが、「さてさて、ここなら遠慮はいらない。まあ座って」 とカイトに向かって声をかけた。 書斎の主である祖父の言葉に従い、椅子に腰掛けるカイトの様子を見て微苦笑を浮かべたケンゾーは、「緊張してるみたいだね。まあこの世界へ来た途端に、会ったこともないじいさんと対面だもんなあ。当然っちゃ当然か。カイト、だったね」 とカイトの緊張に理解を示しながら名前を呼んだ。「はい。快適の快に人間の人と書いて、快人です」 カイトの答えにケンゾーはうんうんと小さくうなずいてみせた。「そうか、いい名前だ。マジェスタ殿は信頼できる御仁だから、この場で俺に対して緊張する必要はないよ。王配だのなんだのってな立場も気にしなくていい。カイト、きみにとってのじいさんとして接してくれて構わない」「……わかりました」
戸惑いの色を含みながらも考察する者の顔をみせるカイトに対して、ケンゾーは前提となった出来事から説明を始めた。「この世界、テルスの神として実存するドラゴンは四柱いてね。そのうちの一柱であるナーガと呼ばれるドラゴンが、このミズガルズ王国の今の女王であるセルリアンに、異世界から人間を召喚する術式を下賜した。四十五年前のことだ。そのセルリアンが術式の構築を済ませてから、約半年後だったらしい。俺が召喚されたのはね」 この異世界の神はドラゴンだと聞いたカイトは、召喚された際に一瞬だけ見えた気がするドラゴンのような巨大な影を思い出した。「……東京タワーじゃなきゃいけない理由があった、とおじいさんは考えたわけですか?」 カイトの問いにケンゾーは小さく首を横に振ってみせた。「何の根拠もない、ただの直感でしかないよ。ただし、だ……ダイキもきみも、父親が失踪した現場って理由で東京タワーへ行った際に、召喚術式によってテルスに来ている。三人が肉親であることは偶然なわけもないのと同様に、三人とも同じ場所というのも何らかの意志がそこに介在したと考えるほうが自然だろ?」 同意を求める区切り方をしたケンゾーに、カイトは素直に首肯してみせた。「その何らかの意志、で召喚……三人の異世界転移を操ったんだろうドラゴン。そのナーガっていうドラゴン、神様とは意思の疎通はできるんですか?」 カイトの問いに肯定する表情を浮かべならがも、ケンゾーは小さく首を横に振った。「いや、ドラゴンは基本的にその姿を現さないんだ。人間との接触は有史以来数えるほどしか記録されていない。当時王女だったセルリアンとの接触は稀有な出来事なんだ」 異世界の神として存在するドラゴンについて、今は考えても進展がなさそうだと判断したカイトは、「父さん今、セナートっていう帝国にいるんだと聞いたんですが……」 と会話を次へ進めるように、不在だという父親についての質問を口にした。 当然の疑問だと示すようにゆったりとうなずいてからケンゾーが答える。「そう。大陸を牛耳る超大国、セナート帝国にいる。二年前だ。ミズガルズとセナートの国境にあたる離島で、戦争と呼ぶにはあまりに短い四日間の衝突があってね。ダイキはそのとき敵国だったセナート帝国に投降した。筆頭魔道士団の首席魔道士であり、総大将だったダイキが投降したことで戦争はあっさり
地球とテルスの違い。 その最たるものである魔法の有無が及ぼした影響の中でも、歴史を動かす戦争の形態を左右してしまう兵器の相違は大きい。このテルスという異世界を理解する上でキーになる。 そう直感したカイトは疑問点をありのまま口にした。「兵器が未発達。そこだけ聞いちゃえば、この世界はとんでもなく平和なのかも? と思えちゃいます。けど、つい二年前にも戦争があったっていうことは……戦争が兵器じゃなく魔法。兵士じゃなくて魔道士が、戦争での兵力を担っているってことですか?」 カイトの推測を肯定するようにケンゾーはゆっくりと首肯した。「ああ、その通り。魔法が使える魔道士と、どんなに鍛えようが魔道士ではない一般の兵士。その両者には力の差がありすぎる。兵力に差がありすぎれば、国家の輪郭を担う国防も機能しない。国家が機能していない混沌は大国も望まない。その結果、このテルスでの戦争は、戦場において国家の全権代理人である筆頭魔道士団に属する魔道士による勝負で決着が付けられるってのが基本になってる。その点だけで言えば、きみが言ってた中世に近いのかもしれないね」 ケンゾーが説明したテルスという異世界の大まかな仕組みについては理解できたカイトだったが、全権代理人という聞き慣れない言葉だけが妙に浮いて聞こえた。「全権代理人、ですか……それじゃあもう軍人というより、戦国時代の武将……いや、もっと前の三国志の将軍か、いっそ考えられるだけ古い古代文明の英雄……みたいな存在に聞こえますけど、俺には」 カイトの挙げた例えを聞いたケンゾーは、一理を認める微苦笑を浮かべながら首肯してみせた。「きみの感覚はズレてないよ。三国志の将軍なんかは例えとして的を射てると俺も思う。とにかく魔道士の数が少ない点も含めてね。およそ九十万人に一人と言われてる魔道士は、ドラゴンから魔力を賜ったとされる神祖と呼ばれる魔導師の末裔ってことになってる。それが真実かどうかは別として……テルスでの定義は、長い年月で血が薄まりながらも遺伝によって魔力が伝わってるってことになってる。ただ、魔道士の子供が常に魔道士って訳でもなくてね。逆に魔道士が何代もいなかった家系に突然、魔道士が産まれるケースもある」 多くのファンタジー作品に触れてきた免疫のおかげで、ケンゾーがつらつらと述べるファンタジー要素てんこ盛りの見解をすんなりと
出しゃばらずに自分への注目を集める術を十四歳にしてすでに身に付けているマヤが中心となり、歓談が程よく温まった頃合いで書斎のドアを控え目に三回ノックする音がした。 ケンゾーの「どうぞ」という声に合わせ静かにドアが開く。ドアを開けたのは先ほどマジェスタの目配せに応じて病室を出て行った濃紺の軍服を着た青年だった。 青年が深々と頭を下げてから報告する。「謁見の支度が整った由にて、報告させていただきます」 マジェスタが「承知した」と短く答えると、青年は再び深々と頭を下げてから退室した。 軽く一呼吸置いたマジェスタがカイトへ視線を向ける。「それではカイト閣下、これより女王陛下に謁見いただきたく存じます」 マジェスタの発した「謁見」という言葉の響きに、カイトは不安と緊張を隠せなかった。「はい。分かりました……でも、俺は正式なマナーとか知らないし、相応しい所作? みたいなものも身に着けてませんが……大丈夫でしょうか?」 素直に不安を口にしたカイトを見て、ケンゾーが微笑みかけた。「それは心配いらない。形式に則った正式な謁見ってわけじゃないし、女王のセルリアンは根が気さくな女性だから。俺も同席するし、気楽に会えばいい」 ケンゾーが同席すると聞いて不安がやわらいだカイトは、「はい。じゃあ、そうします」 とうなずいて返した。「よし。じゃあ、行こうか」 気楽な口調で言ったケンゾーが立ち上がると、それにつられるようにカイトとマジェスタも立ち上がった。 一人だけ椅子に腰掛けたままとなったマヤが、「わたくしは、ここでお留守番してますわね。いってらっしゃいませ、お兄様」 と可憐な笑みを添えてカイトを送り出した。 ケンゾーが先頭となり連れ立って王宮病院を出た三人は王宮に戻ると、シンメトリーな造りである王宮の中心線に当たる長い一直線の廊下を奥に進んだ。 その突き当たりに謁見の間があった。 金糸の刺繍が際立つ緋色の軍服を着た、ともに長身で金髪碧眼という双子のように容姿の似た二人の青年が、謁見の間の重厚な扉を挟むように立っている。 直立不動の二人はケンゾーたちが近づくと、見事にシンクロした動作で純白の扉を開けて三人を迎えた。 その場で跪き、最敬礼をもって迎える二人の美しい青年に対して、どう応じるのが正解なのか分からないカイトは軽く頭を下げてから謁見の間に入っ
「すみません。失礼だとは思うんですが、聞かせてください。「すがった」というのは、何に?」 カイトが申し訳なさそうに訊くと、セルリアンはゆったりとうなずいてから答えた。「わたくしは独りぼっちだったのです。当時、二十五歳だったわたくしと二つ下の妹シアンは、国王であった父と、その妃であった母を同時に失いました。すでに結婚し子もいたシアンの夫の勢力と、未だ独り身だったわたくしを擁立しようとする勢力は一触即発の状態となりました。親を亡くした悲しみと王室での拠り所を失った心細さに押し潰されそうだったとき、ナーガがその姿をわたくしの前に顕しました。ナーガは異なる世界から人間を召喚する術式をわたくしに授けました。「その術式によって召喚した人間には状況を変え得る特別な力を与える」と言い残して、ナーガは去って行きました……」 セルリアンの語尾が弱くなるのを聞いたカイトは、国王の長女として権力争いの渦中で孤独だったセルリアンの気持ちを察して会話を先へ進めることにした。「ナーガというドラゴン……この世界での神様が、与えると言った特別な力が治癒魔法だったんですね」 カイトの配慮に謝意を示すようにうなずいたセルリアンは当時の説明を続けた。「そうです。まさに特別な力でした。そして、ケンゾーはわたくしを大きな愛で包んでくれました。聖魔道士という世界で唯一の称号を得たケンゾーは、わたくしと結婚して王配という立場に立つことで、わたくしを護ってくれました」 賢三という自分の祖父は「異世界ファンタジーの主人公ケンゾー」として役目を果たしたんだと納得したカイトだったが、もう一つ確認しなければならないことがあった。「ありがとうございます。おじいさんとの経緯は分かりました。ただ、もう一つだけ……十五年前、父さんを召喚した理由は何ですか?」 平静な口調になっているように気を付けながらカイトは疑問を口にした。 カイトの問いに答えようとするセルリアンが少しの間を置いたタイミングで、二人の会話へ割って入るようにケンゾーが口を開いた。「それは、俺から説明しよう。ダイキを召喚した理由は、俺の年齢と世界情勢だ。俺が六十歳を目前にしたとき、このミズガルズ王国を取り巻く情勢は緊迫していた。そこで現役の聖魔道士が必要だと、俺は判断した。まさか実の息子が召喚されるとは思ってもみなかったけどね」 おおよそ予想
「ひとまず、ここから先のことはマジェスタ殿にお任せしたほうがいいだろうな」 ケンゾーが自らの孫であるカイトと妻であり女王のセルリアンとの謁見を締め括るように言うと、マジェスタは「かしこまりました」と応じて深々と頭を下げた。 マジェスタとともに謁見の間を出たカイトは、枢密院の議長としての執務室ではなくマジェスタが王宮内に私用で持つことを許されている書室に案内された。 書室は二十畳ほどの広さで、書室の名が示すとおりに壁一面の本棚には書物がぎっしりと収まっていた。 部屋の中央に置かれた大きな地球儀のようなものの前で立ち止まったマジェスタは、「閣下は聡明にして沈着であられます。早速ですがこの世界と、この国について説明などさせていただきたく存じます」 と趣旨を提示することから会話を切り出した。「はい。お願いします」 カイトが素直にうなずくと、マジェスタは穏やかな微笑を浮かべた。「閣下はダイキ卿のご子息。ダイキ卿にこの世界のことを説明したのも私めにございますれば、この世界と閣下がおいでだった世界の相違も把握しております。どうかご安心くださいますよう」「はい……あの、一点だけよろしいですか?」「なんでございましょう?」「俺に対して、そこまであらたまった話し方をする必要はないんですが……」 遠慮がちに言うカイトを見たマジェスタは、目を丸くして驚きの表情を見せたかと思うと声を上げずに小さく笑った。「これは、失礼を。ダイキ卿も会話の始まりに同様のことを仰っておられたと、思い出したのです」 マジェスタが笑いを漏らした理由にダイキの名を挙げるのを聞いたカイトは、(父さんの異世界ファンタジーもこんな感じで始まったのかな……) と思い出と呼べる記憶のない父親への想いを短く巡らせた。「……そうですか、父も」「ダイキ卿も聡明であられましたが、打ち解けた会話を好まれる方でした。酒を好むダイキ卿に誘われ、夜更けまで酒席で語らうこともありました……分かりました。少し話し方を崩しましょう」 マジェスタの口調から、カイトは父親が好人物だった印象を受け取って安心した。「はい。お願いします」「では閣下。このテルス儀をご覧ください。この星、テルスには四つの大陸がございます。アフラシア、ゴンドワナ、アウストラリス、アンタークティカ。そして、我々のいるミズガルズ王国は……
翌日の昼前。肌を冷やす淋しさをいっとき忘れさせてくれるような心地好い日差しがそそぐプログレの港には、聖皇からの指名を受けて刑の執行人として出立しようとするカイトたちの姿があった。 聖皇の使者としてミズガルズ王国を訪れたヴェネーノは、カイトたちより先に汽船への乗船を済ませていた。 ビタリ王国の王位を簒奪したウアイラと、クーデターの主体となったトリアイナ魔道士団への断罪を裁定した聖皇の意思を代行する執行人という特異な任務に当たる渡航とあって、カイトら四人の出立を見送るのはレビンとステラ、そしてノンノの三人のみだった。 少数とはいえ筆頭魔道士団の威を示す純白の軍服を身に纏う魔道士たちの存在は充分に目立っており、七人を遠巻きにする港で働く人々の注目を集めていた。「さくっと終わらせて還ってくるんだよ」 ノンノがいつもの調子で声をかけると、カイトは調子を合わせるように軽い調子で応じた。「うん。そうするよ」「ピリカをお願いね」 ノンノが浮かべる快活な笑みに、わずかな心配の色が差すのを見たカイトは大きくうなずいてみせた。「分かった。必ず無事に、一緒に還ってくるから」「うん。任せた」 カイトに向けて明るい笑顔をみせるノンノの横で、真剣な表情を崩さないレビンにアルテッツァが声をかけた。「王都を頼むよ」「お任せください。旅の無事とご武運を祈っております」「ああ、武勲を立てて王都に戻るとしよう」「はい。凱旋の日を楽しみにしております」 微笑を浮かべて壮行を口にするレビンへ向けて、アルテッツァは力強い首肯を返した。 カイトに随行するアルテッツァ、セリカ、ピリカの三人と、ヴェネーノを乗せた汽船は予定通りに正午の鐘を合図に出航した。 汽船は最短の航路でウァティカヌス聖皇国を目指し、十一日後の一月二十九日には聖皇国のスペツィア港へと到着する予定となっていた。 カイトにとっては初陣の地となるであろうビタリ王国へと続く旅立ちだったが、その不安や緊張を顔には出さないように努めた。 天候にも恵まれ穏やかな船旅となった十一日の間、四人はヴェネーノも交えてポーカーに興ずるなどして時間を潰す余裕を持った空気を共有した。 一月二十九日の昼過ぎには、予定の航程を全うした汽船がウァティカヌス聖皇国のスペツィア港に入港した。 ふたたび聖皇国の地を踏むこととなったカイトに、
ビタリ王国の首席魔道士ウアイラによる王位の簒奪を受け、これを断罪する裁定を下した聖皇フィデスの署名が入った正式な刑の執行人への指名を受理。刑の執行に当たっての渡航に同行する三名の人選と、渡航の方法と日程の決定。 重大な決断と実務の処理を矢継ぎ早に行ったカイトは、深夜の帰宅から短い眠りを経て翌日も朝から王宮に赴き、ミズガルズ王国の宰相であるセルシオとの事前の確認に併せて事後の方針に関する協議も済ませた。 「さすがにちょっとオーバーワークかな……」 思わずぼそっとつぶやいたカイトが屋敷へ帰る頃には、大陸からの厳しい寒気をなだめていた冬の陽もすでに傾き始めていた。 カイトが自室に戻ると、ストーリアが旅の支度を調えていた。 どの程度の滞在になるか期間のはっきりしない渡航の準備とあって、その荷物はなかなかの量にはなっている。「ただいま」 カイトが声をかけると、ストーリアは荷造りの手を止めて微笑みを返した。「おかえりなさいませ。お疲れでしょう。出立までは少しお考えにならない時間をお持ちください」 ストーリアが自然に言い添えた「考えない時間」という言葉にカイトは感心してしまった。 この異世界に来てから約四ヶ月。首席魔道士という国防を担う元帥、あるいは象徴的存在としての大元帥とも謂えてしまう立場に就いてからの約三ヶ月。未だに慣れない政治的な判断や決断を強いられてきたカイトが、いま最も欲しているのは思考から解放される時間だった。 いまの自分を一番よく分かってくれているのは、異世界にいきなり召喚された最初の長い一日からずっとそばにいてくれるストーリアなんだろうとカイトはあらためて思った。「カイト様……? どうかなさいましたか?」 少し感慨にひたる間を置いたカイトに、ストーリアが小首を傾げてみせる。「あ、いや。ストーリアはいつでも、俺が欲しい言葉をくれるなって思っただけだよ」 カイトの返答を聞いたストーリアは、荷造りのためにかがんでいた姿勢から立ち上がるとカイトをまっすぐに見つめた。「カイト様……ひとつだけ、約束していただけませんか?」「俺にできる約束なら……」 ストーリアがゆっくりとカイトのそばに寄り、その胸に自身の頭を寄せる。 カイトの心音を確認するように短い間を置いたストーリアは、頬を寄せるカイトにだけ届く声でお願いを伝えた。「必ず
翌日の昼過ぎに、聖皇の指名を受けたカイトが執行人としての渡航に同行するメンバーを探していると聞き及んだピリカが、王宮内にあるカイトの執務室を訪れた。 書類仕事を中断して応対したカイトに促されてソファに腰掛けたピリカは、向かいに座ったカイトをまっすぐに見つめて用件を口にした。「カイト卿。今回の指名を受けて、執行人として赴く卿と同行する魔道士に、あたしを加えてください。この機会をあたしは待っていたんです」 前置きを省いて本題から入ったピリカに対し、カイトはまずその動機を確認するための質問を返した。「危険を伴う任務に立候補していただき、ありがとうございます。ピリカ卿、ひとつだけ訊いてもいいでしょうか? 危険な任務の機会を「待っていた」という理由は何ですか?」「あたしは魔道士としてトワゾンドール魔道士団に席をいただき、ミズガルズ王国の男爵位もいただきました。ですが、侯爵領となったヌプリの先住民族をルーツとする出自は、決して変わるものではありません。あたしの親や親族に向けられる視線を変えるために、あたしは活躍して功をあげなくてはならない。それが理由です」 ピリカの碧い瞳に強い決意が宿っているのを感じ取ったカイトは、首肯を返してから答えた。「分かりました。今回の渡航への同行をピリカ卿にお願いします」「ありがとうございます」「いえ、礼を言うのは俺のほうです。おかげで初めての任務を受ける俺にとって最大の不安材料がなくなりました」 そう言って頭を下げるカイトを見たピリカが微笑む。「カイト卿。あたしも、ひとつ訊いてもいいですか?」「ええ、どうぞ」「親しい関係になった女性は、もういますか?」「えっ!?」 ピリカの唐突な問いに動揺したカイトの声が裏返る。同時にカイトの脳裏にはストーリアの顔が浮かんだ。「あたしでよろしければ、そちらにも立候補してよろしいですか?」「えー……と、とても魅力的な提案なんですが……」「答えは急ぎませんので、いまは立候補だけ受け取ってください。気長に待ってます」 ピリカの微笑みには裏に含んだ後ろめたさがなく、魅力的な女性だとカイトは率直に思った。 その日のうちに、カイトは聖皇の使者であるヴェネーノが滞在するホテルに赴いた。 ヴェネーノが宿泊する客室に直接通されたカイトは、すすめられるままソファに腰掛けると用件から口にした
出そうと思えばすぐに出せる答えだと分かっているのに、どうにも答えを出すという踏ん切りがつかない。 葛藤と呼ぶにはいささか情けない堂々巡りを独りで繰り返しているうちに、窓の外では陽が傾き初めていることに気付いたカイトが「きょうはもう屋敷に帰ろう」と立ち上がったタイミングで執務室のドアがノックされた。「はい。どうぞ」 カイトがノックに応じるとドアを開けて顔を覗かせたのはアルテッツァだった。 いつものアルカイックスマイルで右手を軽く上げたアルテッツァは、カイトに向けてくいっとグラスを傾ける動作を見せた。「カイト卿。ちょっと一杯、付き合いませんか?」「いいですね」 少し気分を変えたくもあったカイトは、渡りに船とアルテッツァの誘いに二つ返事で応じた。 カイトとアルテッツァは連れ立って、王宮からは少し離れた歓楽街の中にある二人が行きつけとしているバーへ移動した。 アルテッツァが時折、気心の知れたマスターが営むバーへカイトを誘うようになった三ヶ月ほど前から定席となっている、奥のテーブル席に座った二人はウイスキーで乾杯した。 のどを灼くウイスキーが今のカイトには心地好く感じられた。「聖皇陛下の使者殿は、何か難しい条件を提示してきましたか?」 探りを入れるような会話は省いて初めから核心に触れてきたアルテッツァに対して、カイトは素直に答えを返した。「ええ、俺を含めて四人と、人数を指定されました」「そうですか。前提を確認しますが、聖皇陛下の指名には応じるんですね?」「はい。俺は行かなきゃならない。首席魔道士としてお飾りじゃないってことを証明する必要がありますから。問題は同行してもらうメンバーを誰にするか……それを考えてたところです」「でしたら、私とセリカで二名は決まりです」 前もって用意していた答えであることを隠す様子もなくアルテッツァは即答した。「……いいんですか?」「もちろんです。王都の防衛も今はノンノがいますし、何より、カイト卿が初陣に出るとなったときには、必ず同行すると決めていました」「ありがとうございます」「礼には及びません。私が勝手に決めていたことですから。私はダイキ卿を護れなかった……あの屈辱を忘れたことはありません。今度こそ必ず役に立つことを約束します」「心強いです。助かります」「どうか、お任せを。しかし……ダイキ卿は今、
聖皇の使者としてミズガルズ王国の王都プログレを訪れたヴェネーノは道すがらの露店で王宮の場所を尋ねたりなどしながら、軽快ではあるが先を急がない足取りで王宮までの道を歩いた。 前もって待機していたウァティカヌス聖皇国の公使と王宮で合流したヴェネーノは、王宮内にあるカイトの執務室まで案内されると公使を執務室の前に待たせて単身でカイトと面会した。「はじめまして。ロザリオ魔道士団の第五席次を預かるヴェネーノ・バラメーダと申します。本日は聖皇陛下の使者として参りました」 ヴェネーノは口上を済ませると、気さくな仕草でカイトへ右手を差し出した。「カイト・アナンです。どうぞ、お掛けください」 カイトが握手に応じてから応接用のソファをすすめる。 ソファに腰掛けたヴェネーノは懐から薄い封書を取り出すと、微笑を添えてカイトに手渡した。 封書を受け取ったカイトはペーパーナイフで封を切り、書状の内容を確認してからヴェネーノと向かい合うソファに腰掛けた。「御用向きは確かに承りました。返答はいつまでにすればよろしいでしょうか」 カイトの問い掛けにヴェネーノは微笑を浮かべたまま答えた。「私はプログレに三泊し、十八日の正午にはプログレを発つ予定でおります。それまでにいただけましたら」「分かりました。今回の執行にあたっての指名は、何人になりますか?」「はい。今回の指名は対象が個人ではなく筆頭魔道士団を対象にする稀有なケースとなっていますので、メーソンリー魔道士団の首席魔道士ヴァルキュリャ卿と、アイギス魔道士団の首席魔道士インテンサ卿も指名を受けております」 予測はできていたカイトだったが、実際にヴァルキュリャとインテンサの名を聞いて事態の大きさをあらためて実感した。「そうですか……なにぶん俺は初めてなので勝手が掴めていないのですが、単身で赴くものではないんでしょうね」「はい。個人への執行であっても指名された魔道士が単独で執行に当たることは、まずありません。特に今回は対象が複数、しかも筆頭魔道士団となっていますので……出来ましたらカイト卿を含め、四名でのご対応を、お願いしたいところではあります。ヴァルキュリャ卿とインテンサ卿にも同様の要請をお願いしております」 三人の首席魔道士に各々三人の同行を要請するという詳細を聞いたカイトは、敢えて驚きを素直に表した。「四名ですか
「それは具体的に、ゲルマニア帝国かガリア共和国、あるいはブリタンニア連合王国が、魔道士団と自国の軍隊を動かす可能性がある……と考えておくべき情勢ってことでいいんでしょうか?」 見解に食い違いがあってはならないと思ったカイトが質問すると、セルシオは首を横に振った。「全否定はできませんが、各国が軍を動かす可能性は低いでしょう。聖皇陛下がウアイラ卿とトリアイナ魔道士団への断罪を裁定され、刑の執行人を指名するという形をとると思われます」「その場合、刑の執行人に指名されるのは……?」「魔道士が犯した罪に際して、聖皇陛下の裁定を受けて刑の執行人に指名されるのは、罪を犯した魔道士よりも上位の位階を持つ魔道士、というのが慣例となっております。二十一年前に太魔範士であるシーマ卿がセナート帝国の帝位を簒奪した際にも、当時の聖皇陛下がすでに太聖であった唯一の上位位階を持つエルヴァ卿を、刑の執行人として指名したと聞き及んでおります。エルヴァ卿が指名を拒否したために、表向きには聖皇陛下の裁定は下されなかったとされましたが」 聖皇の指名を拒否するなんて不敬も、飄々としたエルヴァならやってのけるんだろうと納得してしまったカイトは、自分がいま立っている立場をあらためて思い知ることになった。「ウアイラ卿は魔範士……それよりも上位の位階、となると……」 すでに予測できてしまったが、自分で明言することは避けたカイトの意を酌んだセルシオが代弁するように答えた。「世界に二十名しか存在しない魔範士の上位となれば、自ずとその対象は六名のみとなります。太聖であるエルヴァ卿、太魔範士であるカイト卿とシーマ卿、英魔範士であるヴァルキュリャ卿、インテンサ卿、トゥアタラ卿。指名を拒否する可能性が高いエルヴァ卿と、ウアイラ卿の後ろ盾となっているシーマ卿を除けば、残るは四名。執行の対象が単独ではなくトリアイナ魔道士団となれば、複数人の指名となるのが濃厚。以上を踏まえ、カイト卿が指名される可能性は極めて高いと思われます」 カイトは椅子の背もたれに寄りかかり、一度だけふうと短く息を吐いた。「俺が指名されたら、受けるべきですよね……」「……危険を伴う難しい判断ではありますが、そうしていただければ対外的なメリットが大きいのは確かです」「ミズガルズ王国の首席魔道士は、お飾りの太魔範士ではなかった対外的に証明で
世界が大きく揺れ動く大戦の戦端となる『火の七日』がその年の三月に起こることなど知る由も無いカイトが、聖暦一八九〇年を迎えた元日の王都プログレは穏やかな冬晴れの下にあった。 大晦日にビタリ王国で起きた首席魔道士ウアイラが率いる筆頭魔道士団によるクーデターは、年をまたぐ周辺の国々には既に衝撃を与えていた。 長い歴史を誇り列強の一つにも数えられるビタリ王国での首席魔道士による王位の簒奪。それは二十一年前に起きた当時には大国ではなかったセナート帝国でのシーマによる帝位の簒奪よりも、大きな衝撃をもって報じられた。 電撃の報が未だ届くことなく元日を迎えた極東のミズガルズ王国では、王室主催の新年祝賀会が予定通りに催されていた。 ブレビス離宮を会場として正午から開催された祝賀会には、王族や有力な貴族と主要な政治家などが参席し、その中には当然に首席魔道士であるカイトの姿もあった。 王配であるケンゾーの孫として、サイオン公爵でもあるカイトの席は王族側に用意されていた。「なんの進展もないまま新年を迎えてしまうなんて、思いもしなかったです」 カイトの隣の席に座るヴェルデは頬をプクッと膨らませてみせた。 王太子の長女である王女殿下に対して、どう対応するのが正解なのかカイトは迷ったが一先ず詫びることにした。「すみません。何分まだ不慣れな仕事に追われていまして……」「忙しさを言い訳に使うのは出来ない男のすることですよ?」「そうですね……正直に言ってしまうと、俺は女性に対して奥手なんです」 性分を打ち明けるカイトにグッと顔を寄せたヴェルデは、真偽を確かめるようにカイトの目を覗き込んだ。「わたくし以外の女性とも進展はないんですね?」 ヴェルデの問い掛けに対して、ストーリアの顔が浮かんでしまったことを気付かれるわけにはいかないと焦ったカイトは真顔で返答した。「……ええ。ありません」 微妙な間を置いて答えたカイトの様子から女性の影を悟ったヴェルデだったが、敢えて問いただすことはしなかった。 「そうですか。なら許してあげます」「ありがとうございます」「ただ、男性が奥手なのは美徳ではありませんからね?」「肝に銘じておきます」 カイトの素直な返答に溜飲を下げたヴェルデは微笑みを浮かべてみせた。 翌一月二日の夕刻。 ミズガルズ王国の王宮内に用意されたカイトの執
ビタリ王国の国防を担い軍事力を示す象徴的存在でもある筆頭魔道士団を率いて、トリアイナ魔道士団の首席魔道士ウアイラが王都ロームルスで国王と王族の殺害に及んだという意味では、クーデターに近い謀反を起こした一八八九年の大晦日の早朝。 地球でのイタリアと酷似した国土を持つビタリ王国で、中部に位置するイタリアの首都ローマとほぼ同じ位置にある王都ロームルスから北西に四百キロメートルほど離れた、イタリアでいえばジェノバとほぼ同じ位置に国土を有すウァティカヌス聖皇国でも一つの事件が起こった。 サン・フィデス大聖堂からも程近い聖皇国の中心地にあるホテルの二階に、旅行客に扮したシャマルの姿があった。 ビタリ王国の第三王女であるソフィアが滞在する客室の前に立ったシャマルが「ラーミナ・ウエンティー」と最小限の声量で詠唱を済ませる。 自身が放った風の刃によってドアを破壊し、客室へと押し入ったシャマルを待ち構えていたのはイフリータだった。 火属性の召喚獣の一種である魔人イフリータは身の丈二メートルほどの女性の姿をしており、艶めかしい褐色の肌が透けて見える薄衣だけを纏わせている。 眼前にイフリータが立っているという想定外の事態に目を見開いたシャマルは「ここは一旦退くべきだ」と咄嗟に判断した。 「ラーミナ・ウエンティー!」 シャマルが詠唱しながらイフリータに向けて右手をかざし、風の刃を射出する。 凄まじい速度で迫る風の刃を、その軌道を読んだイフリータが炎を纏った拳で殴り飛ばす。「くっ……クッレレ……」 イフリータが難無く霧散させた風の刃を見て、逃走の時間稼ぎすら許されない焦りのまま自身を加速する魔法を詠唱しようとするシャマルに素速く接近したイフリータが、驚愕の表情を浮かべる横っ面を拳で殴りつけた。 物凄まじい威力の打撃によってシャマルは吹っ飛び、壁に打ちつけられる。 頸椎の骨折によって即死したシャマルを見下ろすアルトゥーラの視線は、蔑みを隠さない冷えきったものだった。「魔道士でありながら、その誉れを捨てて暗殺の真似事など……しかも殺気すら完全に消すことができない暗殺者もどき。戦場とは違う儀礼も制約もない戦闘への対応もお粗末ときた……」 アルトゥーラが侮蔑を口にしながらイフリータの召喚を解除すると、隣の寝室から恐る恐る顔を出したソフィアがか細い声でアルトゥーラの名
カイトが「火種」と感じたシーマの「想像力」は、カイトの予感を嘲笑うかのように苛烈な疾さで「引火」した。 地球と酷似する地形をもつ異世界テルスにあって十九世紀のイタリア王国とほぼ合致する国土を擁するビタリ王国。 魔道士の聖地であり、魔道士を制約する法規を司る総本山でもあるウァティカヌス聖皇国をその国土に内包するビタリ王国の王都ロームルス。 三千年の歴史を刻む世界的にも稀有な古都であるロームルスで最初の火は点った。 聖暦一八八九年が幕を下ろして次の年へとバトンを繋ごうとする十二月三十一日。 未だ夜明け前の暗がりの中にあって霧雨に濡れる王宮の表門に、一輛の馬車が乗り付けた。 馬車から降りた三人の姿に、表門に駐在する四人の門番たちの背筋が一斉にピンと張る。 三人はビタリ王国の筆頭魔道士団であるトリアイナ魔道士団の軍服を身に纏っていた。 深紅の地に銀糸の刺繍が施された軍服と同色のマント。マントにはトリアイナ魔道士団のシンボルである三叉槍のエンブレムが刺繍されており、その下に標されたナンバーは『Ⅰ』と『Ⅴ』と『Ⅵ』。 第五席次と第六席次を背負う魔道士は共に女性で、『Ⅰ』を背負った首席魔道士のウアイラにぴったりと寄り添うように立っている。 四人の門番のうちの一人が、恐縮を仕草に滲ませながらウアイラへと駆け寄った。「ウアイラ卿。大晦日の、それもこのような時間に、どうなされたのですか?」「陛下に用があってな」「陛下に!? そのような予定は聞いておりませんが……」「急を要する。通してくれ」「たとえウアイラ卿といえども、それはさすがにできません」 素直に困惑を顔に出しながらも役目を守ろうとする門番に対し、ウアイラは迷う様子もなく返答した。「そうか。では、致し方ない」 ウアイラが右手を門番にかざし「アルデンド」と短く詠唱する。 次の瞬間には門番が発火していた。 断末魔の叫びをあげることさえ叶わずに門番が燃え上がる。 予期しようのない突然の事態を前にして、呆気にとられることしかできない他の門番たちへ右の手のひらを向けたウアイラが、三度「アルデンド」と早口に連続して詠唱を済ませる。 瞬時に燃え上がり四つの炎の塊となった門番たちには目もくれず、ウアイラは第五席次の女性へ声をかけた。「ジュリエッタ。ここは任せた」「はーい。いってらっしゃい」 眼